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元町本店のこだわり
1990年2月14日。バレンタインデーでもあるこの日、藤沢にJPASTAが誕生しました。今とは違い外食産業もそれほど盛んではなかった当時、シェフの戸田オーナーは路地裏の小さな14席の店内で、スタッフとカードゲームや盤ゲームをして1日を過ごした日もありました。はじめての出会いが増え、お馴染みの笑顔が増え、聞きなれた声が増え、行列が続く嬉しい毎日が増えた頃までには、JPASTAのメニューも分厚い1冊の図鑑ができるほどに増えていました。人を喜ばせたり驚かせることが大好きなオーナーの、自由で独創的な発想から生まれたメニューは、それぞれがお客様一人ひとりの中で、なくてはならない「お気に入りスパゲティ」となっていったのです。
2002年7月12日。横浜元町のメイン通りの1本裏手に、JPASTA元町店が誕生しました。30席の店内には、オーナーが大好きな南国のBGMと、愛してやまない江ノ島電鉄(江ノ電)の写真。今でもいつまでも変わらないコックスーツ姿のオーナーが、いつもと同じJPASTAの味を守り続けています。
2009年3月8日。約20年の歴史を歩んできたJPASTA藤沢店の前には、お客様の列が途切れることなく続きました。2代目に藤沢店を任せていたオーナーもこの日は、自分の思い出を迎えに来られた大勢のお客様の懐かしい笑顔を見に、最後の厨房に入りながら1日中、藤沢店の姿を心に焼きつけました。この日でJPASTA藤沢店は閉店し、JPASTA横浜元町店が本店へと生まれ変わったのです。
それから10日後、2009年3月18日。JPASTAは海の楽園に上陸しました。14席の藤沢店を任されていた2代目店長は、この日から横浜・八景島シーパラダイス内に拡張オープンした「JPASTA八景島店パスタゴ」という150席以上の巨大レストランの店長となりました。変わらぬJPASTAの味に、ごはんメニューやイタリアンジェラートバイキングなどの新しいアイテムを加え、テーマパークレストランとして楽しさを演出しました。
そしてさらに2年後の2011年3月16日にみなとみらいクイーンズスクエアat!内に「JPASTAクイーンズスクエア横浜店」を開店いたしました。40席あるテラス席の正面に観覧車があり店内からもみなとみらいの夜景が一望できる絶好のロケーションです。
JPASTAの味のクオリティを守るため八景島で藤沢店から引き続いて活躍していたスタッフ全員が「JPASTAクイーンズスクエア横浜店」に参加することに決まり残念ながら「JPASTA八景島店パスタゴ」は閉店することとなりました。このオーナーの判断にもJPASTAはチェーン店とは違うことを明確に現わしています(八景島シーパラダイスには私も参加しておりましたので思い出がいっぱいあります。シーパラダイスのスタッフの皆様ありがとうございました)。
JPASTA藤沢店創業スタッフakiko
JPASTAの味
JPASTAの味付けは、はっきりとした主張のある味付け。シンプルな言葉で言い表すとするならば、「濃い味」と言えるでしょう。お客様の味の好みは十人十色あります。
もちろんすべての方に満足していただくことはできません。しかし、一人でも多くのお客様に美味しいと思っていただける味を追求して作り続け、「この前食べたあの味を、また食べたくなった」と同じお客様が再び来店していただけた時のあの喜び……。こうして常に新しい食材や斬新な味付けに挑戦し続け、一方でいつまでも変わらずに大切に守られてきたJPASTAの味。JPASTAの味の柱となるこの味を守るために、オーナーが20年ずっとこだわり続けているもの、それを、少しだけお話します。
手作業
JPASTAのスパゲティは少しばかり他のお店よりも高いかもしれません。多くのレストランが時代の流れで価格を下げる中、それでもJPASTAは値段を変えることはありませんでした。それには理由があるのです。
JPASTAでは、ミートソース、ベシャメルソース、トマトソースからサラダドレッシングまで、シェフが1から手作業で仕込み、缶詰にも工場の大量生産にも頼ることはありません。玉葱や人参を刻むところからすべての行程を、シェフが時間をかけて、店の厨房で行っています。
藤沢の裏通りの小さなJPASTAは、簡単に安い値段で料理を出すことよりも、他と一味違う物を求めて来られるお客様の期待に応えることが、生き残る術であったからです。今でもそれは変わりません。店の前に並んでまで食べに来てくださるお客様、電車を乗り継いで遠くからお越しいただくお客様、毎日のようにランチタイムのわずかな時間に必ずいらっしゃるお客様、JPASTAを支えて育ててくださったそのようなお客様への約束ごととして、いままでも、そしてこれからも、JPASTAはシェフ自らの腕で、JPASTAの味を作っていきます。どんなに便利な時代が来ようとも、JPASTAは電子レンジと価格競争とは無縁なのです。
食材
味を守るためには、十分に吟味した材料を用いなくてはなりません。JPASTAのパスタは乾麺はバリラ社の最高級ライン「セルジオーネ・オロ・シェフ」。生パスタは淡路島の気候風土と良質な水を使い職人が丁寧に練り上げた生パスタを直送してもらいます。送料を含めて自家製麺よりは大幅なコスト高になりますが、残念ながらパスタマシーンを導入しての自家製でこのクオリティを上回ることができなかったのです。
創業以来、主な食材を受け持ってくださっていた美沙和商会さんにはいろいろなことで支えられてきました。そう、全国でバターが品薄になった2007年の第三次オイルショックの時は「しらすのスパゲティ」「明太子のスパゲティ」などのバターをベースにした人気メニューが多いJPASTAにとって絶体絶命のピンチでした。製造数の少ない最高級の特殊なバターを使用しているため、メーカーである雪印乳業さんがいつ製造を打ち切ってもおかしくない状況であり直接メーカーに掛け合ってくださって人気メニュー休止を避けることができました。そのほかにも獲れたての新鮮な釜揚げしらすを不漁のときにも優先して確保していただいている鵠沼海岸の堀川網さん。こだわりの梅を届けてくださる石神邑さん。日本で最後の枯木ゆずを生産するカネトシさん。今では希少になった良質の「ひらたけ」を特別な計らいで確保してくださるケーズファームさん。そのほかにも多くの最高の食材を届けてくださる業者さん。JPASTAの味は多くのすばらしい縁の下の力持ちと一緒に歩んだ歴史でもあるのです。
JPASTAのメニュー
JPASTAはあくまでもパスタ専門店であることを身上としております。現在正式にメニュー化されたパスタは、80系統、400種にのぼります。さらに元町本店では麺のタイプをレギュラー(1.7mm)、スリム(1.5mm)、フェットチーネ、ペンネ、ファルファレ、フジリ、ニョケッティ、生パスタのリングイネの8種から選んでいただけます(ランチはレギュラー、生パスタの2種。クイーンズスクエア店は生パスタ)。
JPASTAのメニューは一見、オーソドックスに見えても、素材、隠し味、ダシなどにJPASTAならではの特徴を持たせてあります。同レシピの同じメニューを他のお店で召しあがった時に、「あ、JPASTAと違う!」と感じていただけたら嬉しいです。どちらが美味しかったかということは別として、他とは違うJPASTAの味を発見していただくことが本望なのです。
さあ、まるでパスタ図鑑のようなJPASTAの全メニューをどうかご覧ください。
そして、皆様お一人お一人のお気に入りパスタに出会うために、ご来店いただけることを心から楽しみにしています。
昭和のプレミアムナポリタン
JPASTAのメニューには、00系~イタリアン、1000系~和風、2000系~スープ&サラダ、というように、大きな分類がされています。
その、和風の締めを担っているのが、1900系1901番「昭和のプレミアムナポリタンのスパゲティ」です。
ナポリタンスパゲティと聞いてイタリアン系なのでは?とお思いになられた方も多いと思います。実はこのナポリタンスパゲティこそが、ジャパニーズスパゲテイと呼ぶJPASTAオリジナルジャンルの、まさに原点なのです。
オーナーにとってナポリタンは、若かりし頃のパワーの源でした。
街にはビートルズの曲が流れ、多くの若者がアメリカという自由な大国に憧れを抱いていました。
怖いものなど何もない、前に進め、チャンスをつかめ、そんな時代を生きたオーナー。仲間とボーリングに出かける時、こっそり喫茶店に立ち寄る下校途中、ちょっとお洒落をしてデートに出かける時、そんな時はいつも、ナポリタンスパゲティとドクターペッパーを片手に、たくさんの夢を語り合いました。
明日はもっと素晴らしいできごとが待っているだろう。いまいちだった今日を吹き飛ばしてくれる新しい出会いが待っているだろう。アメリカを想わせる真っ赤なケチャップとコカコーラの赤は、太陽のように力強く、常に温和で楽天的で、独創的なアイデアにあふれたオーナーの個性的を育み、将来、JPASTAオリジナルのジャパニーズアメリカンスパゲティを生み出すことになります。
「ナポリタンをくるくるとフォークに絡ませていると、まるで自分の『元気というネジ』を巻いているかのように、全身にパワーが湧いてくるんだ」
そうオーナーは言います。そんなオーナーが創ったナポリタンには、太陽のように熱くて大きなエネルギーが込められているのです。
20席にも満たない小さな路地裏にあったJPASTA藤沢店。1990年の開店から3年ほどすると瞬く間に常連様が増え、ランチタイムにはお席待ちの列ができるようになりました。
メニューも300種を超え、ランチもディナーも全く同じメニューを提供していた当時、3つのコンロしかない小さな厨房はだんだんに料理が追い付かなくなってきました。
このままでは……。貴重なランチタイムの割いてきてくださるお客様のために、オーナーは最も人気があり、そして最も手間のかかるナポリタンスパゲティを、遂にメニューから外す決心をします。
日本人が好む玉葱、ピーマン、フランクフルトに、ケチャップ、タバスコ、粉チーズというアメリカの食材が加わるだけのシンプルなナポリタンスパゲティ。一見簡単に見えますが、シンプルだからこそ、その食材の旨味を引き出すのには大変な時間と注意が必要になります。
玉ねぎを甘くなるまで炒めるだけでも10分。調味料の配分には慎重に慎重を重ね、アメリカにあこがれた頃の、あの味を出していきます。特に特別な思い入れのあるこのナポリタンスパゲィ。
クオリティを下げてまでお出しすることを嫌ったオーナーは、あくまでもJPASTAの「TOオーダー制(ご注文をいただいてからおひとりおひとり様のためのスパゲティをお作りする)」という信念を曲げることをしませんでした。
こうして、JPASTAのメニューからナポリタンスパゲティの名前が消えたのです。
ある日、いつものように厨房で調理をしていると、すっかりお馴染みの顔となった慶応大学湘南藤沢キャンパスの学生さんが、こっそりオーナーに手紙を置いて帰りました。
――僕たちはもうすぐ卒業します。もうJPASTAにも来られなくなります。そこで、僕たちから1つお願いがあります。最後にもう1度、ナポリタンスパゲティを食べさせてください。
手紙にはそう綴られていました。
数日後、開店1番のJPASTAは、十数人の慶応生で埋め尽くされました。
オーナーは学生さんひとりひとりの将来を描きながら、若かった自分の姿を重ねていました。
どうか、太陽のように大きな夢を描いてほしい。
明日を恐れずに、どんどん前に突き進んで立派な社会人になってほしい。
そんな思いで、最後のナポリタンスパゲティを作りました。
メニューから外れたことを知らずに注文される方や、メニューに載っていないことに驚いた方からの問い合わせも相次ぎました。
「そんなにも大勢の方が愛してくださっているのなら」
この年からJPASTAのナポリタンスパゲティは、年末の最終営業日を「昭和のナポリタンスパゲティデー」として、この日限定で作られるようになりました。
開店前から隣の垣根を曲がる角まで列が続き、JPASTA藤沢店は1日中玉葱の甘い香りと、ケチャップの真っ赤なエネルギー、そしてお客様の笑顔で溢れかえりました。
「いつかあの日の慶応の学生さんたちが家族を連れて食べに来てほしいな」
彼らを想い出すオーナーの表情が、いっそう優しい顔になります。
1900系1901番「昭和のプレミアムナポリタンのスパゲティ」。
現在では年に1度、横浜元町の「元町クラフトマンシップ・ストリート フードフェア」のみで食べることができます。
JPASTAの真髄であるナポリタンを、是非食べにいらしてください。
JPASTA藤沢店創業スタッフakiko